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ビリー・ミリガンと23の棺〈上〉 ビリー・ミリガンと23の棺〈下〉

連続強盗強姦事件の容疑者として逮捕されたビリー・ミリガンは、多重人格障害と診断されたがゆえに無罪となった。ノンフィクション「24人のビリー・ミリガン」はここまでを描いている。しかし、果たしてビリーはこの後どうなったのか。それを描いたのが、「ビリー・ミリガンと23の棺」だ。

ビリーは無罪にはなったものの、それは刑務所行きを免れただけだった。劣悪とされる州の精神病院に収容され、虐待される日々が続くことになる。ビリーが無罪になったのが面白くない警察や、犯罪者を野放しにするのかという世論を受けて処置をする行政などにより、ビリーは治療どころではなく、人格は分裂と統合を繰り返す。周囲の反対を押し切って結婚した女性には逃げられ、劣悪な病院をたらい回しにされる状況に耐えかねて脱走するも、結局逮捕されてしまう。

社会に絶望したビリーが選んだ手段は、絶食による自殺だった。無謀とも思えるこの行為が、しかし、結果的にではあるが分裂なき人格統合が実現した。人格が安定したとして、ビリーは1991年に解放される。治療が始まったのが1978年で、有罪で服役していた方が、もしかしたら早く社会復帰できたかもしれない。ビリーは現在、名前を変えて生活しているそうだ。

衝撃度は、はっきり言って前作の方が勝る。ひとりの人間に24の人格があり、時と場合に応じて人格が入れ替わる。幼少時の、実父の自殺未遂や養父による虐待により、次々に人格が分裂していった。フィクションでしょと言いたくなるようなことが、描かれていた。

しかし、これが実話である以上、ビリーのその後についても描かれるべきだった。劇中登場する「作家」は、作者のダニエル・キイスその人だ。今回は実名も登場させ、ビリーと対話する機会も増えている。終盤では、ビリーと共に最初に養父に虐待を受けた場所を訪れていて、その場でビリーが過去を許すと語るところは、それまでの荒れた展開を思えば、とても感動的だ。
 
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ダニエル・キイスの世界

今年亡くなった作家ダニエル・キイスの「ガイド本」で、1999年に2度目の来日を果たしたこととリンクして編集され、2000年に出版された。キイスは東京都と名古屋で講演やサイン会を行ったほか、観光もした模様だ。

キイスと宇多田ヒカルとの対談も収録されている。当時、宇多田は彗星の如く現れたシンガーソングライターで、年齢を確認したらなんと16歳だった。それでいてキイスとほぼ対等に渡り合っていて、このときの彼女の勢いが垣間見られる。

キイス自身のはもちろん、他の作家が具現化した映像や戯曲についての解説もある。作品で取り扱われている多重人格についての、養老孟司と香山リカのインタビューも。養老は日米での生活習慣や文化などの違いについて指摘し、日本では多重人格者が生まれにくいのではと語っている。

現時点でワタシが読んでいるキイス作品は、「アルジャーノンに花束を」「5番目のサリー」「24人のビリー・ミリガン」。これでだいたいキイスの主要作品は押さえたつもりでいたのだが、「ビリー」には続編があることがわかり、また「アルジャーノン」にも元になる中編があることがわかった。というわけで、もうしばらくの間キイス作品を読み続けることになりそうだ。
 
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24人のビリー・ミリガン〈上〉 24人のビリー・ミリガン〈下〉

1970年代後半のオハイオ州。3人の女性に対する連続強盗強姦事件が起こり、ビリー・ミリガンが逮捕・起訴される。しかしビリーは、事件のことを何も知らないと言う。弁護士は精神鑑定士を呼んで対応させるが、彼は自分はビリーではないと言い出す。調査の結果、ビリーには23の人格が存在することがわかる。

幼少時の実父の自殺未遂を契機に最初の別人格が現れ、その後義父による虐待の影響で複数の人格が生まれている。基本的にはスポットと呼ばれるポイントに立って意識を持つのは10の人格だが、「好ましくない者」とされる13の人格も存在し、強盗強姦事件は複数の人格が入り乱れる中で起こった。ビリーは無罪となった後精神治療を受けるが、そこで全人格が統合された24番目の人格「教師」が登場する。

アルジャーノンに花束を」「5番目のサリー」のダニエル・キイスによる、ノンフィクション。つまり実話をもとに書かれていて、ビリー・ミリガンは実在し、事件も実際に起こったものだ。劇中「教師」と対話する「作家」という男は、まさにキイスその人だろう。またこの本により、多重人格が世に認知されるきっかけにもなったらしい。

ワタシが読んでいてユニークだなと思ったのは、人格がたくさんあるのに肉体がひとつしかないことに窮屈さを、彼らが感じていないことだ。時には人格同士で会話し、そしてルールを決めている。「好ましくない者」としてスポットから追放される人格はいても、激しく対立したり言い争ったりすることはまずない。結構、統制はとれている。

「5番目のサリー」のサリーは、もともと彼女の中にあった人格が分裂して他の4つの人格ができあがったとされているが、ビリーの方は自身の中に起源を見出だすのが難しい人格もいる。安全なときに統制するリーダー格のアーサーはイギリス人だし、刑務所など危険な場所で身を守る必要があるときにリーダーになるレイゲンは、ユーゴスラビア人。最初の別人格であるクリスティーンは、幼い少女だ。

無罪になった後のビリーは、病院で虐待を受けたり政治家に危険視されるなど厳しい日々が続いたが、長きに渡る精神治療の末解放され、名前を変えて現在も暮らしているそうだ。
 
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五番目のサリー〈上〉 五番目のサリー〈下〉

ニューヨーク。地味でおとなしい性格のサリー・ポーターは、時折記憶喪失になってしまうことが原因で仕事は長続きせず、結婚も破綻。しかし、実はサリーには、自身の知らないあと4つの人格があった。知的なノラ、ダンスが好きで奔放なベラ、凶暴なジンクス、そしてサリーの身に起こったことは全てわかる「記録係」のデリー。サリーが自身の身に迫った危険に自ら対処できなくなったときに頭痛が起こり、別人格が登場して対処する。その間に起こったことを、サリーは知らない。

サリーは精神科医ロジャーにかかり治療を受けるが、最初は自分が多重人格であることを認めようとしない。しかし、あるときベラの状態の自分がテレビに映ったのを見たことで事態を認識し、向き合うようになる。ロジャーのアプローチは、催眠術により別人格を呼び出して話を聞き、サリーとの融合を促す。

先日亡くなった作家ダニエル・キイスによる、傑作「アルジャーノンに花束を」に続く長編小説だ。ワタシの感触では「アルジャーノン」よりも読みやすく、ページがすらすらと進んだ。その一方、性的にかなりきわどい描写もあって、この人こういうことも書くんだなあと思わされる。

サリーと別人格との融合は、ひとりずつ行われた。

サリー+ノラ=2番目のサリー
2番目のサリー+ベラ=3番目のサリー
3番目のサリー+デリー=4番目のサリー
4番目のサリー+ジンクス=5番目のサリー

幼少期における、それぞれに悲しいサリーの体験が、新しい人格を生み出した。ジンクスだけがかなりのクセ者だが、ほか3人は女性としての魅力を備えている。思うに、別人格というよりはサリーがもともと持ち得ていた人格が、極端に分裂してしまったのだと思う。

この作品は小説つまりフィクションだが、この後にダニエル・キイスは多重人格者のノンフィクションを書いている。今読んでいるところだが、恐らく「5番目のサリー」は「アルジャーノン」と次なるノンフィクションとの橋渡しのような位置付けにあるのではと思っている。

 
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Lou Reed『Rock & Roll Animal』

作家のダニエル・キイスさんが15日に亡くなられた。死因は肺炎の合併症で、86歳だった。

キイスさんといえば、なんと言っても「アルジャーノンの花束を」だ。知的障害の青年チャーリーが実験的手術によって一時的に天才となるが、先に手術を受けていたネズミ「アルジャーノン」に退行が始まり手術には欠陥があることが判明。自身も退行が進む中、死んでしまったアルジャーノンの墓に花束を添えてほしいと、チャーリーは書き記す。

キイスさんはこの作品でヒューゴー賞を受賞し、プレゼンターの「SFの父」アイザック・アシモフに激賞された。映画化やミュージカル化もされているとのことで、日本でもユースケ・サンタマリア主演でテレビドラマ化されている(観てみたい!)。

ワタシは、この本を去年読み、大きなインパクトを受けた。そして、キイスさんの他の作品も読んでみようと思い、何冊か買っている。まだ棚に眠ったままだが、近いうちに取り出してみる。

キイスさんの死に、謹んでご冥福をお祈りいたします。
 
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ヤマダ電機がサービス提供している電子書籍サービスが、7月末で終了になる発表があった。終了後は、それまで購入した電子書籍は読めなくなるとのことだ。

ワタシがiPad miniを買ったのはほぼ1年前で、買った目的のひとつが電子書籍だった。がしかし、これまで電子書籍は1度も購入していない。AmazonやYahooにて、閲覧可能な無料版を読んだことがあるくらいだ。

たとえば紙の本であれば、どこの書店で買ったかというのは、ほとんど関係がない。しかし電子書籍は、どこのストアから買うかが結構大きい。情報収集不足もあるが、どこのストアがワタシにとっていいのかが、なかなか決めきれない。今回のヤマダのように、サービス終了する/したストアも珍しくなく、そうなるとそのストアで購入した書籍は読めなくなってしまうことが多いようだ(ヤマダは、その後、ダウンロード済み作品は閲覧可能に対応する旨のアナウンスがされた)。

電子書籍の利点は、かさばらない、絶版にならない限り売り切れにならない、などにあると思う。その一方、自分が望む書籍が必ずしも電子化されていないということもある。特に、ワタシがよく読む音楽関連はなおさらだ。

コミックや雑誌、ビジネス書など、種別によってストアの強み弱みがあり、これらを使い分けるというやり方もなくはない。が、ストア利用にはアカウント登録が必須で、あちこちのストアに登録したくはないという思いもある。

通勤時に読む本として、B5やA4の大きさだとかさばるし、立って読むのは結構きつい。が、文庫本サイズなら扱いやすいし、かばんに入れても場所を食わない。文庫本で出版されている書籍であれば、電子書籍に固執しなくてもいいかなと思い始めているところだ。

これらにより、電子書籍は結局様子見状態で今に至っている。ラインナップについては今後少しずつ充実していくと思われる。後は、淘汰されて生き残ったストアの中から自分に合ったところを探して利用するようにしたい。

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ナイン・ストーリーズ

ライ麦畑でつかまえて」のJ・D・サリンジャーによる短編集を読んだ。まんまタイトル通りで、サリンジャー自ら9編の短編をセレクトしている。

どの短編も、日常の他愛ないどうということのないやりとりがほとんどで、大きな盛り上がりもまずない。読んでいて、はっきり言えば退屈だ。そして短編特有の、突然の終了を迎える。ただ「どうということのない」やりとりの中に、不意に非日常の要素が放り込まれている。

ワタシがこの本を読もうと思ったのは、「バナナフィッシュにうってつけの日」「笑い男」の2編が収録されていたからだ。前者はマンガ「バナナフィッシュ」のねた元になり、後者は「攻殻機動隊S.A.C.1st GIG」のねた元になっている。

「バナナフィッシュに〜」は、ホテルのプールで青年が少女にバナナフィッシュという奇妙な魚のことを話し、その後部屋に戻って寝ている妻の脇で拳銃自殺するという、ショッキングというか訳がわからないというか、そんなお話。この主人公やその家族は、他の物語でも描かれているようだ。

「笑い男」は、草野球チームで団長と呼ばれるチームのリーダーが、バスの中でメンバーに聞かせる作り話が「笑い男」の話で、メンバーは野球の後その話を聞くのが楽しみになっている。中国の山賊にさらわれ口許を引き裂かれた男がいつしか山賊のボスとなり、抗争を繰り広げ悲しい最期を遂げる。

ワタシはマンガの「バナナフィッシュ」は読んでいないので、ここでの短編とどうつながるのかは知らない。攻殻機動隊S.A.C.についてはだいたい知っていて、劇中発生するサイバーテロが「笑い男事件」と呼ばれている。ただ、より深く適用されているのは「ライ麦畑でつかまえて」の方で、「笑い男」については、このネーミングを引用したに留まっている(と思う)。


ライ麦畑でつかまえて

アメリカ人作家J・D・サリンジャーによる、傑作とされる小説「ライ麦畑でつかまえて」を読んだ。

16歳の少年ホールデンは、成績不良により学校を何度目かの退学になる。時期はクリスマス直前で、学生寮を出たホールデンは、ニューヨークにて数日を過ごした後に実家に帰宅する。

邦訳は2種類あって、ワタシが読んだのは1964年に出版された野崎孝版。その40年後、村上春樹版も出版されているようだ。村上版はホールデンが聞き手に話しかける文体らしいが、野崎版は自身の内面をひとりごとのように語るのが大半である。

正直言って、今のワタシには(16歳という年齢を加味しても)ホールデンに共感できるところはほとんどない。やたらと理屈っぽく、嘘やでたらめを並べ立て、悪いのは全て周囲と決めつけ、関わる人を見下し、そのくせ本人はほぼ無力だ。これどこに着地するのかと思ったら、精神病院に入院して終わっている。意気がっていながら突然泣き出したり、頭痛がしたりという「予兆」はあったので、なんだそういうことかと思っただけだった。

周囲の人々を嫌い、特に親と顔を合わせることをひたすら避けようとするホールデンだが、ただひとり心を許せる人がいて、それが妹のジェシーだった。

彼女に何もかも嫌いなんでしょとずばり言われ、言い返すこともできないホールデン。将来何になりたいかと聞かれ、なかなか答えられず、やっと絞り出したのが、ライ麦畑で遊ぶ子供たちが崖から落ちそうになったときに、捕まえてあげられるような人間になりたいと言い、それがタイトルになっている。

ワタシがこの本を読もうと思ったきっかけは、2つある。まずひとつめは、マーク・チャップマンがジョン・レノンを射殺した後、逮捕されるまで読んでいたという事実だ。衝撃的な事件の一端に絡んでしまい、内容以前に風変わりなタイトルがひとり歩きしているように思い、実体を確かめたかった。

もうひとつは、「攻殻機動隊 Stand Alone Complex 1st Gig」の軸になっている「笑い男事件」が、この本をモチーフにしているからだ。しかし、ホールデンを継承した役どころと思われるアオイは天才ハッカーで、社会に対抗しうる術を持ち実行し、ホールデンよりはるかにましだ。共通しているのは、欺瞞だらけの大人や社会に対する不信やいらだちの感情だと思う。

むしろ、笑い男事件とは異なる第1話にこそ、この本のテーマがにじみ出ていると感じる。主人公草薙素子は、容疑者確保の際「社会に不満があるなら自分を変えろ。それができないなら、目と耳を閉じ口をつぐんで孤独に暮らせ。」ということばを、銃口と共に浴びせる。この素子のことばにこそ、ワタシは共感する(「目と耳を閉じ口をつぐんで〜」も、ホールデンのことばを引用している)。


アルジャーノンに花束を

ダニエル・キイス原作の、傑作との誉れ高いSF小説だ。SFと言っても未来や宇宙を舞台にしているわけでなく、書かれた当時のアメリカが舞台と思われる。ほろ苦くもの悲しいストーリーだ。

30代にして6歳程度の知能の青年チャーリーは、知能を発達させる手術を受ける。知能は急速に発達し、やがて数ヵ国の言語を理解するまでになるが、以前自分にかまってくれていた周囲の人々が自分をばかにしていたり利用していたりしたことに気づき、彼らを見下すようになる。

周囲は、急に天才になってしまったチャーリーを恐れ近づかなくなり、チャーリーは孤独感を感じる。また、知能の急発達こそなれど感情の発達がそれに追い付かず、体が拒否反応を示してしまうことにもなっている。そして手術は完全ではなく、効果は永続的には続かないことが明らかになり、チャーリーに退行が始まる。

タイトルにある「アルジャーノン」とは、チャーリーに先駆けて手術を受けて賢くなったネズミの名前だ。つまり、知能を発達させる動物実験をまず行い、続いて人体実験としてチャーリーが選ばれたのだ。アルジャーノンの退行と死を目の当たりにしたチャーリーは、これが自分の運命と悟りつつなんとか抗おうとするものの、退行を止めることなどできるはずもなく、アルジャーノンに花束を捧げてほしいと記したところで、物語は終わる。

物語は、チャーリーの「経過報告」という形式で綴られている。序盤はひらがなだらけ、字の間違いも少なくない。それが少しずつ漢字が増え、文章も整ってくる(終盤、またひらがなばかりの文体になる)。これは、訳者の力量の賜物だろう。書かれる内容は、チャーリーの思考や体験、そして、手術を受ける前の小さい頃の記憶などが交錯する。

チャーリーは、手術を受けてたとえ少しの間でも幸せになれたのか。あるいは、手術を受けないままの方がよかったのか。解釈は、読み手に委ねられている。ワタシは・・・、どちらかといえば前者だ。

アルジャーノンという固有名詞はかなり珍しいと思うが、この名詞はかなり前に耳にしている。氷室京介がボウイ解散後に発表した最初のソロアルバムが『Flowers For Algernon』で、氷室はこの本を読んで感銘を受け、原題をそのままタイトルに適用したとのことだ。

この作品、映画化もされているらしく、しかもその邦題が「まごころを、君に」。旧エヴァの劇場版サブタイトルは、ココからの引用だろうか。そして、舞台を日本に置き換えたテレビドラマもあるらしい。ユースケ・サンタマリアがチャーリーにあたる役、菅野美穂がチャーリーが恋心を抱く教師役とのこと。原作こそが最も優れているという評判だが、これらも気になるところだ。

そして、ワタシが今になってこの本を読もうと思ったきっかけは、「攻殻機動隊S.A.C.」にて、愛嬌のあるA.I.自律兵器「タチコマ」が、この本を読んでいたからだった。

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螢・納屋を焼く・その他の短編

ノルウェイの森」を読み、関連する情報を調べていくうち、この作品の元になる短編があることを知った。というより、もともとは短編として執筆され、それが長編として具現化され再構築されたのが「ノルウェイの森」ということらしい。その短編は「蛍」という作品だった。

文章は、内容のみならず文体までも、そのほとんどが「ノルウェイの森」の前半部まんまだ。故郷では親友だったキズキが自殺する。ワタナベが大学入学で上京し、学生会館に入り、突撃隊と同室になる。突撃隊のことを、直子に話す。やがて直子は大学を休学して療養所に入る。

ワタナベと直子との関係は明確ではなく、恋愛関係にあるかどうか微妙。直子が休学して療養所に入る理由も、明らかにされてはいない。この短編のクライマックスは、「ノルウェイの森」ではわずかだけ描かれていた、突撃隊がワタナベに見せる蛍だ。恐らくこの蛍は、直子やキズキなど、死と生の境界線にいる者たちの象徴なのではと思う。

たいがいの短編は、これから面白くなるというときに突然終わる。「蛍」も然りなのだが、クライマックスの蛍のところをファンタジックに描写している分だけ、まだ手応えがある。そして、これが「ノルウェイの森」のプロトタイプとなり、後々、緑やレイコなども加わって大きく話が膨らむとイマジネーションを働かせれば、単なる短編にとどまらない、重みを感じることができる。

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